東京高等裁判所 昭和31年(う)2569号 判決
被告人 宮本四郎
〔抄 録〕
(一) 刑法第二百三十四条にいわゆる「威力」とは、暴力または脅迫に達しない程度で相手方の自由意思を制圧するに足る勢力を指称し、これによつて相手方が畏怖したことを要するものではないから、高野喜美子に対する被告人の原判示言辞によつて、所論のように果して同人が現実に畏怖したか否かを穿さくする必要はないのである。而して被告人の右言辞が前掲両証人の各供述等によつて認められる当時の被告人の威勢、四囲の状況等から見て、相手方たる高野喜美子の自由意思を制圧するに足る勢力と解し得べきことは、疑を容れないところである。(二)被害者高野喜美子が被告人に対し昭和三十年五月末日限り原判示洋裁店を明け渡すべき旨口約したとの所論事実は、論旨援用の証拠によつては遽かに首肯し難いばかりでなく、右約定の有無にかかわらず、原判示洋裁店の明渡を求めるため、威力を用いてそれまで右被害者が同所において継続して来た洋裁業務を妨害した以上、前記法条所定の罪責を免れ得ないのである。
(二) 原判示第一の器物毀棄に関する論旨について。
被告人が原判示日時、原判示洋裁店の表硝子戸に取り付けてあつた錠(昭和三一年押第八五七号の二)を取り外したことは、被告人の認めて争わないところであり、この錠が被害者高野喜美子において、自ら購めて右硝子戸に取り付けたものであることは、同人の原審及び当審における各証言、原審証人千葉誠の供述等によつて、これを窺知するに充分であるから、原判示の錠が高野喜美子の所有に属することは論をまたない。論旨は、右錠は原判示洋裁店の建物の従物であるから、たとえ高野喜美子が取り付けたものであつても、該建物の所有者たる宮本喜兵衛の所有に帰属する旨主張するけれども従物とは主物の所有者が自己の所有に係る他の物を主物の常用に供するため、これに附属せしめた場合、その附属物を指称するのであるから、所論は従物の観念を正解しない謬見というの外はない。次に原審及び当審証人高野喜美子原審証人宮本喜兵衛の各供述等によると、原判示洋裁店は被害者高野喜美子が昭和二十九年五月頃宮本喜兵衛から同所で洋裁業を営む目的のもとに、期間の定めなく賃借したのであるが、同店は日中、洋裁の仕事のみに使用されていた関係上、同女が自ら同店に寝泊りしていた期間を除き、宮本喜兵衛から同店の管理を依頼されていた被告人が、同店の夜間の戸締、火の用心等に当つていたものであること、高野喜美子及びその使用人は同店の出入に際し、専ら原判示表硝子戸に取り付けられた本件の錠を使用していたこと、被告人は高野喜美子の意に反して右の錠を取り外したものであること等の諸点を、それぞれ明認することができる。そこで叙上の事実関係に徴するときは、原判示当時被告人としては原判示の錠を妄りに取り外し得ない立場にあつたにかかわらず、高野喜美子の意に反して勝手にこれを取り外し、これがため同女等において右錠をそれまでの用法に従つて使用することができない状態に至らしめたものというべく、被告人の該所為が器物毀棄罪を構成することは多言を要しないところである。それゆえ原判示第一の事実認定を不当とする論旨は理由がない。
ただ、右認定事実に対しては刑法第二百六十一条を適用すれば足りるのに、原判決が同法条のほか同法第二百六十二条をも適用しているのは、擬律錯誤の違法あるものといわざるを得ないけれども、右は無用の法条を附加したに止まり、これによつて法定刑にも相違を来たさないのであるから、右の違法は未だ判決に影響を及ぼすこと明らかであるとはいえない。従つて法律適用の誤を主張する論旨も結局、理由がない。
(谷中 坂間 荒川)